鈴木清順
『ツィゴイネルワイゼン』(1980 日)

「腐る寸前が美味しい」

悔しいといえば、清順の一番おいしい、『ツィゴイネルワイゼン』を生で体験してないこと。見たかったなぁ、テントの中で上映したんだよなぁ、これ。その時代にきっちり生きていながら、観に行けるような状態じゃなかったんだよっ('_;)  こればっかりはいくら悔やんでもねぇ、同じ時期に状況劇場の芝居なんかも全然観ることができなくて、ただ芝居だと再現性がないからこそ逆に諦めもつく。ところが映画だと、同じフィルムならどこでだって上映できるわけだから、そのおかげで『カリガリ博士』だって観れるんだけれど、ところがテントの中での上映という状況は再現できるようでできない。その歯がゆさというか、映画として再現できるのに、その場まで再現できない。それを逃がしたという悔しさが先に立ってしまう。

多分に状況劇場や黒テントなどの芝居と同じでその場のダイナミズム、その場を共有している一体感というのに、すごくわくわくしてしまうわけで、それは芝居や映画そのものを越えたところにある。だから、その場を切り離したところでこの『ツィゴイネルワイゼン』を語る虚しさみたいなのがある。

ま、それはともかくとして、あ、やっぱり、ともかくということにできないな。彼岸と此岸の往復、交信というものが、テントの内と外、というのに込められていた、といってもいいと思うの。だから、映画そのものを取り上げて語ってみたら、ビンパチはおもっくそ大根じゃないかとか、原田芳雄もあまりにむさ苦しすぎるじゃないのとしか言い様がない。原田芳雄のファンには申し訳ないけど、こいつほんとワンパターンで、原田芳雄だけを観るかぎりにおいてもういいですと思う。

ところが、原田に限ったことでなくて、大楠道代にしたって、大谷直子にしたって、さらにはこのあとに続く『陽炎座』での松田優作もしかり、一様に、芝居させてもらってない。剥ぎ取られてしまっている。彼らの芝居の資質を剥ぎ取ってしまって、さぁどうだと突きつけてくる、あまりに逆手をとった清順に唖然としてしまう。それまで持っていたもの、組み立てられていたものを、一度取り壊したあとに、さぁどう組み立てるんだ、こう組立てみましたと突きつけてくる。そこでの役者と監督を筆頭とする清順組との渾然一体となったせめぎ合い、さらには観客まで巻き込んだ格闘技じみたものを感じてしまう。だ・か・ら、清順はおもしろくてたまらない。

誰も最初からストーリー展開なんてものは期待なんかしてませんよ。はっきり言っておきましょう。ストーリーなんてものはありません! 全然、れびゅになってませんか(笑) 生と死、此岸と彼岸、その往復、そしてそれを往復する間に双方が渾沌としてしまう。所詮、砂浜のもぐら叩きでしかない、と思うのだけどね。

ラストで女の子が手招きをする。そのシーンは、ボクには「わたしの肉体を返して!」と絶叫する春日野=李礼仙に重なってしまう。

ツィゴイネルワイゼン

監督 鈴木清順
脚本 田中陽造
撮影 永塚一栄
音楽 河内紀
美術 木村威夫 / 多田佳人
出演 松田優作 / 大楠道代 / 藤田敏八 / 大谷直子 / 麿赤児 / 玉川伊佐男 / 樹木希林
★★★★★
2002年05月14日(火)