鈴木清順
『陽炎座』(1981 日ヘラルド)

やっぱり書いてしまいましょう、鈴木清順。今年御年78の立派な爺。『陽炎座』の当時で57かぁ。

松田優作にはやられてしまったなぁ。変だと思わへん? 演技がほとんどまったく絡み合っていない。独り芝居の連続。それは大楠道代相手にも、中村嘉葎雄相手にも、演技させてない。ひたすら松田優作は見えない観客を相手に演技させられていたから。

まずはこれが一番のトリック。じゃ、2番は?3番は?と深くついきゅうしないの。芝居じゃなくて何度でも繰り返し見れるんだから、自分でなぁるほろとさがしたまえ。自分で勝手に納得しなはれ。

例えばだよ、なんで麿赤児があんなところで出てくんのか、その必要性なんてあるんか? って、聞かれても、ボクはわからん(笑) なければなくてもいい。でもあったらあったでうれしい。同じなら、背中に火をつけて燃え上がってほしかった。

何とでもなるんだよ。あ、こんなのおもろいやんと思いついたらぶちこんで。ねぇ、ねぇ、やっちゃおうよ、をっ、それいいねぇ、行っとこ、行っとこ。って、そんなノリでしょ。何から何まで計算しつくされた映画なんかじゃない。計算し尽くされたといえば黒沢でしょ。鈴木清順は黒沢の対極にある、と言い切ってしまいます。あ、でも意外と、ばしっと決め決めだったりするのかもなぁ。

鈴木清順の、インタビューだか読んだことがあるんだけど、「あのシーンはどうなってんですか?」って問いかけに、「さぁ、もうずいぶん前のことだから忘れた」とはぐらかしてる。聞くほうがバカでしょ。「あのシーンはねぇ、大正の浪漫を黄泉の側からみたらどうなるか描いてみました」なんて、鈴木清順が答えるはずないやんね。

うっと、小難しい話は苦手よ(笑) どうせ『陽炎座』なんて語り尽くされてるから、ボクがのこのこ首つっこんで書くことなんかない。だからバカ書く。

問題はこのシーンね。問題というほどたいそうなもんちゃうよ。三度の逢瀬のときだね。ここで松田優作は右脚を大楠道代の頭越しに越そうとするんだけど、なんかもたもたしてるねぇ。ボクがやったらもちろん越すに越せないで股関節攣るんだけど。ここんとこは松田優作にするっと越して欲しかった。

ラストの水中の大楠道代がどうしてあんなにぱっちり目を開けてられるんだ?とか。鬼灯が水中から浮き上がって水面を埋め尽くすときに、なんで大楠道代の顔が最後まで残ったんだ。なんか仕掛けしてるんか? 何度も撮り直したんだったら、大楠道代も大変だったろうな。博多人形の底の仕掛け。問題の人形だけは見せなかったなとか(ゑ、見せたんだっけ?) 楠田枝里子の一瞬見えるハダカは実はマネキンだったり。。。。ほらね、書きだしたらきりがない。言わずもがなの小屋の崩壊は状況劇場まんまで、状況フリークのボクは何度見直してもかっこいいことこの上ない。芝居好き、とくにそのケの芝居好きにはたまんない映画だよね。

一粒で五度美味しい。四度の逢瀬は死ななければならないけれど、五度の嗜食はどうしませう。

陽炎座

監督 鈴木清順
製作 荒戸源次郎
原作 泉鏡花
脚本 田中陽造
撮影 永塚一栄
出演 松田優作 / 大楠道代 / 中村嘉葎雄 / 楠田枝里子 / 原田芳雄
★★★★★
2001年11月05日(月)