ヴィットリオ・デ・シーカ
『自転車泥棒』(1948 伊)

何だったかなぁ、わりと最近の映画の中で、自転車を泥棒して「わをぉ〜、ネオ・リアリズモぉ〜」ってはしゃいでるのには思わず笑ってしまった。それくらい「ネオ・リアリズモ」の代表作と言えるこの映画。

40年代第2字世界大戦直後のローマ。いきなり、たぶん戦争で焼き払われたのだろう荒れた広場が石造りの建物の間にどっと広がるのには、ゑっと思わされる。カメラがそうした荒れた風景、荒んだ光景ばかりを舐め尽すように捉えていく。カメラばかりでなく、プロットにおいても、シーツがなくても寝られるだろうと、シーツと交換に自転車を質屋から下ろしてくるとか、、そうした情景を映しだしてくる。

そして子どもブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)がね、ハリウッドの子役のようなあざとさが全くなくて、逆に言えばヘタなんだけれど、ヘタでベタなところがよりぐさっと来るわけ。それらのシーンを挙げたらきりないんだけど、教会で真似して十字を切るとことか、父親アントニオ(ランベルト・マジョラーニ)に叱られてポカッとやられたときの顔だとか、もちあのピザのおいてないレストラン(本場イタリアではピザなんてのは日本でいうとお好み焼みたいなもんだから、なんぼ大阪であっても、レストランにお好み焼は置いてないゾ)とかね。レストランでヨソの子の真似をして、モッツァレラをびろーんと糸ひかせてるの、可愛かったなぁ。すごく好きなシーンは、広場の向こう側からブルーノが一人駆けてくる。このときどういうわけだか広場には誰もいないんだね。その真ん中を斜めに駆けてきて、何するんだと思うと、壁に向かって立ち小便。リアルすぎる。そして父は「何、やってんだよぉ(このぉ、わしがこんなに慌ててんのに)」ってね。

そして父親がぼそっと、家族手当が一日800リラでかける30...それだけで十分なのだ...それも奪ってしまうのか、と、ある意味で悲しいセリフなんだけれど、だからね、この現代の日本にどっぷり浸かっていると、あまりにストレートすぎて、ちょっと耐えられなかったりする。

この父親と子どもの関係。知らず知らずに40数年前の自分を子どもに重ね合わせてみたりしてる自分がいる。どこかで親は親で必死だったんだなぁと、だって昭和30年前後のことだもん。ふっと思いだしたら、多かれ少なかれ、ここまで悲しくなくても、同様の情景が思いだされてしまう。それをこんどは自分と娘どもに重ねてもみたり。

さてと、それはそれとして、ここに登場するまったく無名の群集、このさばき方がね、それは見事。実際、これらの人々は単に一般市民を使ったそうです。小難しいこと言い出したら、それはファシズムを表現しているんだとかになるんだろうけれど、そんなことはおいといて、この父と子のすぐ横を何台も何台もの自転車に乗った群集が走り抜けていく。まるで水の流れのようで、ここのシーンの演出なんかはすごくいいなぁ。とにかく、父と子の「個」と「群」の、ぶつかり合いがエネルギーを生み出しているというのかなぁ、うまく言えないけれど。

Ladri Di Biciclette

監督 ビットリオ・デ・シーカ
脚本 チェザーレ・ザバッティーニ
原作 ルイジ・バルトリーニ
撮影 カルロ・モントウォーリ
音楽 アレッサンドロ・チコニーニ
出演 ランベルト・マジョラーニ / エンツォ・スタヨーラ
★★★★★
2002年05月12日(日)