
これを初めて見たときのボクはまだ尻(ケツ)が青かった。もちろんリアルタイムですが、とにかく性描写がすごいという前ふりがあって、あら、こんなもん?というちょっと肩透かしを食わされたような、そんなとこしか見てなかったのかも(反省)
ところで『愛のコリーダ2000』というのが、つい最近って2000というから2000年なんだよね、これってノーカット版らしくて、じゃあボクがかつて見たのは何だったんだい。今さら見比べてみようという気はなくて、2000が出たときもパス。どうせノーカットでもボカシ入ってんでしょ。ヘアは映っていても。そしたらアメリカ版DVDならボカシもなくて字幕を出さなくて済む(世の中便利になったもんだわ)ってんで、今回見直したのはそのアメリカ版。
いまや、ウスケシ、モロなんていうエロビ見慣れてしまってるから、びろーんと殿山泰司のふにゃチン見えたからってどうってことないや。むしろ吉っつぁんのおチンチンって赤いのねって、あんた、やっぱり何見てんでっか(^◇^;) それにボクはというと無類のフェラチオ好きなもんだから、あ、もちろんしてもらう方に決まってます、定みたいな彼女ほしいいいいいい・・・をひ(-_-) で、いまさら阿部定の性愛について語る気はさらさらなくて、はい、100%肯定しております。供述調書のお刺し身の話なんて、もう最高なんですワ。
さてまご爺のヨタ話はこれくらいにして、2000版をパスしてアメリカ版を見たことをとてもラッキーだったと思ってる。それは見えないところが見えてくる・・・おちんちんが見えてくるじゃなしに、くっきり見えるのは、大島の日本の様式美への追及が見えてきた、色彩が見えてきた。尻(ケツ)の青かったボクにとって、見えないおちんちんにばかり目が行ってしまって、すっかりその様式美の追及から目を削がれてしまってた。これはきっと2000版においてもボカシという日本における必要悪のせいでついボカシの向こうに目が行ってしまってたにちがいない。
幇問の松廼家喜久平が舞う、そのことですら、なんでポルノに徹しないのだと・・・ほんま何を見てたんだか、見ようとしてたんだか。定が藤色の訪問着をさらっと脱いだ瞬間の緋色の鮮やかなこと、もうのけぞってしまうじゃないですか。『東京物語』とは違ったアプローチで日本を表現してると言ってもまちがいじゃないです。
でね、尻(ケツ)が青かったといえば、藤竜也のね、男って部分がまだまだわかっちゃいなかった。だってまだ当時ボクは25だったしね、そういう意味で年齢をくうというのもいいもんだな、としみじみ感じてしまう。この女にだったらなにされたっていいなんて。
それと松田暎子のことは見くびってたな。『愛のコリーダ』の直前に、かのボクのマドンナ=宮下順子の『実録阿部定』だったでしょ。「吉っつぁん」「やい、吉!」という松田暎子の表情が離れないって。
噫、今晩、夢精してしまいそう。