三島由紀夫
『豊饒の海』(1969-71 日本)

大阪に珍しく雪が積もった。一年に一度積もるか積もらないかの雪が積もった。とにかく一人で行かないといけない。何人かでわいわい行くのなんてもってのほか、とにかく一人で歩いていかないといけない。うまい具合に土曜日に雪が積もった。誰にも言わずにしめしめ、この雪が奈良なら明日まででも残っているだろうと思った。

次の日、一人で天王寺から関西線に乗った。ほとんど人っけのない駅から歩き出すとすぐに帯解寺があった。道路にはもうほとんど雪は残っていなかったけれど、ところどころにまだ融けつつある雪で道路は濡れていた。帯解の集落を抜け国道を渡ってほとんどあてもなくただ小高い丘のような山をめざして畑の中を歩いていった。

 やがて杉木立の中に入ると風はいよいよ寒く、耳に風音がはためいて来た。杉の木の間の水のやうな冬空の下に、冷たい漣の渡る沼が見えはじめ、ここをすぎれば、さらに老杉は鬱蒼として、身にふりかかる雪もまばらになった。

 清顕はただ次の足を前へ運ぶことのほかには念頭になかった。彼の思ひ出は悉く崩壊し、少しづつ躙り寄ってゆく未来の薄皮を、少しづつ剥がしてゆく思ひだけがあった。

 黒門は知らぬ間にすぎ、雪に染まった菊花の瓦を庇につらねた平唐門がすでに目に迫った。

『春の雪』

まさにその通りの情景が進んでいるのに僕自身胸がしめつけられるような気がした。ゆるい上り道にさしかかると轍だけに雪が残っていた。その雪をわざとふみしめながら清顕が歩いたのと同じように一歩一歩歩いていった。やがてその鬱蒼とした老杉に囲まれた道にさしかかると風で杉の枝に積もっていた雪がぼたっぼたっと落ちてきた。その音以外に何の音もしなかった。

そうして平唐門にたどり着くと、清顕が決して踏み入れることのできなかった門跡がいとも簡単に窺えた。そこまでの暗い老杉の道とは反対に明るい、しかし冷たい空に門跡の瓦の曲線がはっきりと見てとれた。しばらくその門の下に立ち止まっていたが、しかしそこから先に僕も足を踏み入れることはできなかった。この開け放たれた平唐門が、開け放たれているからこそ、世界を隔て踏み入れられさせないための門に感じられてしまった。

その門の中にいるはずの聡子を僕にとってはだれと感じていたのだろう。僕自身にとっての聡子はだれなんだろう。

「俗世の結びつきなら、さういふものでも解けませう。けれど、その清顕といふ方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお會ひにならしやったのですか? 又、私とあなたも、以前たしかにこの世でお目にかかったのかどうか、今はっきり仰言れますか?」

「たしかに六十年前ここへ上った記憶がありますから」

「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」

『天人五衰』

当然のことだけれどこの圧倒する三島のことばに僕なんか何も言えなくなる。ただこの四部作はすごい、『春の雪』の中で人力車の情景はどんな映像よりも現実的に浮かび上がってくるんだとか、『天人五衰』になると谷崎の影響がすごいんだよねなんてもはや繰り言にしか過ぎなくなる。

幾重にも積み重ねられた膨大な物語、そして時の流れのはてに、あまりにも凛とした結末で

「豊饒の海」完。
昭和四十五年十一月二十五日

と記されている。この日、三島由紀夫は三島由紀夫自身の結末としてあの市ヶ谷駐屯地で自決した。

1998年01月06日(火)